道路敷地民有地が生じた原因

 道路敷地民有地が生じた経緯を調べるときや、係争になって証拠書類を集めるときは、過去の不動産登記制度や道路の整備手法を踏まえて調べることが必要です。

道路からみた不動産登記制度の変遷

 明治5年(1872)から22年(1889)にかけて、年貢が地租(土地に課せられる税)になったことや、田畑などの土地の取引が認められるようになったことから、不動産登記の制度が作られました。 このとき、民有地は地租を課すために地図に地番が振られ土地の面積や地目などが登記されました。 道路は地租の対象ではないため、地図に赤線で表示される無番地の免租地とされ面積等は整理されませんでした 1)

 明治29年(1896)から昭和25年(1950)まで、土地台帳とその付属地図は、地租を課税するために税務署が管理していました。 土地台帳は現在の登記簿の土地の物理的状況(所在、地番、地目、地積等)の、付属地図は現在の公図のもとになった資料です。 道路として買収された土地は課税対象とならないため、例えば課税台帳に「道路敷成り」と記入して抹消し、土地台帳付属地図では無地番の国有地(いわゆる白地)にするなど民有地の売買とは異なる扱いをされることもありました 1) 2)

 大正7年(1918)に大審院が「係争地ガ道路敷ニシテ公用物タルコトハ国ノ所有権ヲ対抗シ得ベキ事由タラズ、国ハ登記ヲナスニ非ザレバ所有権ヲ以テ第三者ニ対抗スルコトヲ得ズ」と判示し、道路の敷地についても不動産登記をしなければ第三者に対抗できないことが示されました 3) 4)

 大正8年(1919)に旧道路法が制定され、道路は国の営造物とされ、自治体が取得した道路用地も国に帰属することとされました。 私権の制限も定められました。

 昭和27年(1952)に道路法が全面改正され、都道府県道は都道府県の、市町村道は市町村の営造物とされました。 このとき、旧法で国有とされていた道路の土地は、道路管理者に無償で貸し付けられたものとみなされました道路法施行法 第5条

 昭和35年(1960)に土地台帳法が廃止されるとともに、不動産登記法が改正されて現在のような制度になりました。 不動産登記法は不動産を売買したときなどに登記を義務付けていますが、公共の用に供する道路などは一般の取引の対象となりにくいため 5) 、当分の間、この義務を適用しないとされました不動産登記法附則第9条不動産登記法の一部を改正する等の法律(昭和35年法律第14号)附則第5条第1項

 昭和44年(1969)の最高裁判決でも、国が道路敷地の所有権を取得したときに、登記なくして第三者に対抗できないことが示されました登記をしていない道路敷地が第三者に売却された事件 3)

 平成7年度の会計検査で、23道県のうち15県で土地の所有権移転の登記が未了のまま補償金の支払を完了している事例があったことから、道路局所管国庫補助事業では土地区画整理法等による取得以外では登記前の支払いを行わないよう通知されました 6) 7)

寄附等による道路の整備

 現在、多くの道路は道路用地を買収して造られています。 従前は道路の整備予算が限られている一方で道路整備の要望が多かったため、下記のような整備手法が多く使われていました。

  • 公費がつくのを待てないため、地元住民が道路の敷地も労力も提供して道路を整備した(参照:集落の道普請などによる道路整備
  • 道路管理者は工具や材料を支給し、地元住民が道路の敷地や労力を提供して道路を整備した。
  • 住民が道路の敷地を寄付をして、道路工事は道路管理者が行った。
    (市町村が道路用地の寄付を集めて、寄付が揃ったら都道府県に道路整備を請願した。)
  • 用地費が限られているため、市町村が用地取得を代行して、大地主からは土地の寄付を受け、狭小地の地主からは土地を買収して道路用地をそろえた。
  • 路面になる部分しか事業費がつかなかったため、低湿地を改善するための側溝は住民が土地を寄付し労力も提供して造った。
  • 路面電車や路線バスの事業者が、道路幅員が不足する箇所の用地を取得して道路に寄付した。

 これらの道路は寄付により道路用地の所有権は道路管理者に移っていますが、登記がされていないこともあります。 寄附を受けたものの、相続登記が終わっていなかったり抵当権等が設定されているために登記ができなかったものもあります。 寄附により整備された道路では、道路管理者や地元市町村に寄附願や上地願、寄附採納書の綴りなどが残されている場合もあります(参照:道路整備の記録の所在

 東京都道では、旧道路法の時代(昭和27年以前)に市郡部で整備された都道に道路敷地民有地が多く、その大半が、次のような経緯によるものです 1)

  • 当時の土地所有者が、道路の新設又は改築時に道路敷として寄附願を提出しており所有権は既に東京都に移っているが、登記上の手続きが未了で民有地のままとなっているもの
  • 土地登記簿上は民有地であるが、当時の土地所有者が使用承諾をしているもの
道路整備の記録の所在

 用地買収により作られた道路は、その当時の事務の進め方により所要の書類が作られていることから、仮に一部の書類に欠落があっても、次のような書類が残されていることがほとんどです 2)

  • 土地売買契約書
  • 土地売渡承諾書
  • 旧土地台帳(買上げ等の記載のあるもの)
  • 分筆登記嘱託書(代位原因が売買)
  • 支出負担行為決議書、執行伺
  • 補償台帳又は登記未済台帳で契約日や支払日の記載があるもの

 土地の寄付などによる道路の整備は、地域内で利害を調整する必要があったことから、古くからの地元の有力者にヒアリングをすると、どのように道路が整備されたのか解ることが多々あります。 しかし、裁判などでは地元住民同士で主張を戦わせることを避けるため、関係書類を探して立証する必要が生じます。 集落や市町村単位で寄付をとりまとめて、寄付願が全て揃ったら道路整備の要望ができるという方法がとられることも多かったため、道路管理者に残っている書類は限られています。

 寄付により造られた道路は、道路管理者や市町村、公文書館などに寄附願の綴りや、全ての地権者が連署した用地を寄付するので道路を整備して欲しいとの要望書が残されていることがあります。 道路の区域決定や変更、供用開始の公示、旧道路台帳平面図の道路区域線等、また土地の所有関係の資料(公図、土地登記簿、旧土地台帳の記載内容及び分筆の年月日等)で権原取得の状況が確認ができることもあります 1)

 昭和30年代ぐらいまでは自動車が円滑に通れる道路が限られていたため、道路整備が切望されていました。 そのため、市町村議会の議事録や地域の新聞などに、寄付願が揃ったので道路整備の要望ができるようになったとか、寄付に難色を示す人がいるために道路整備が遅れそうだという記録が残されていて傍証になることもあります。 道路用地の寄付に難色を示す人の対策として、地域の有力者が土地を交換したり、財産区などがお金を払って寄付を揃えたという話も伝わっています。

 道路用地は買収により取得するもので寄付によるのは例外的なことだとか、戦前の道路整備は反対者がいても道路管理者が強権的に進めてきたという思い込みがある方もいるようです。 戦前の道路整備の資料には、用地取得や工事について相当の説明や折衝をしていたことが記録されていますし、異論を唱える人が居たので整備が先送りされたという記録も残っています。 用地の寄付が揃わなければ工事を行わない方針が示されている資料もあったりします。 当時、どのように道路が整備されてきたのかを示すことも必要になることがあります。

集落の道普請などによる道路整備

 江戸時代、公費が支出されていた道路は幕府が管理していた五街道など限られ、大半の道路は地域住民の負担で整備や管理が行われていました。 定期的な架け替えなどに多大な費用がかかる木橋でさえ、幕府が費用を負担した公儀橋は、江戸では半分程度、大阪では1割以下で、その他の橋の整備や管理は地域住民の負担でした 1) 。 明治10年代までに地域住民が整備した道路は、公図で赤道になっています。

 明治時代になっても公費で整備された道路は限られていて、多くの道路は引き続き地域住民によって整備されました。 地域によって相違がありますが、古くは、集落では各戸の代表が出席する寄合で整備案を決め 2) 、自治体では土木委員などが整備内容を決定し 3) 、集落総出で道路整備をするといった手順が踏まれていました。 重要な路線や費用のかかる橋を整備するときには、支弁道として自治体から一部の費用が支給されたり、材料や工具が支給されることもありました 4)

 住民による道路整備は、当初は集落を結ぶ道路の整備が主で、大規模な整備も行われていました。 それらの道路が国道や都道府県道になり公費で整備されるようになるにつれ、整備規模も小さくなり、集落内の道路の整備や、曲がりくねった道の線形改良、車が通れるようにする拡幅、崩落した道路の復旧などに重点が移り、整備の手順も簡略化していきました。

 住民による道路整備に要した道路用地の扱いは地域により異なりますが、用地を寄付する習慣がない地域でも、例えば、寄合が全員一致が原則だったことや、関係人の要望を踏まえて整備を了解していたことなどで、無償使用許諾を類推できることがあります。

 1) 大阪八百八橋大阪国道事務所、リンク切れ)
 2) 日本社会史の現場からグローバルスタンダードを見る 村の寄合と議定(大塚英ニ、愛知県立大学公開講座
 3) 戦前地方都市の道路行政に関する史的研究−千葉県野田を事例に−(中野茂夫、都市計画論文集、2002年37巻 p.535-540)
 4) 檜原村史、同編纂委員会、1981、P.588