相生橋は清澄通りが隅田川の派川を渡る橋で、現在の橋は平成12年に架けられたプラットトラス橋です。 初代の相生橋は明治36年に架けられた木橋で、先代の相生橋は関東大震災の復興橋梁でした。
相生橋の諸元等
相生橋
図表出典〕東京都、東京都の橋、2005、P.15
相生橋(あいおいばし)は、清澄通り(きよすみどおり)が隅田川(すみだがわ)の派川を渡る橋梁です。 震災復興で架けられた橋が老朽化したため、平成12年(2000)に3径間連続鋼床版プラットトラス桁橋に架け替えられました 1) 2) 。
- 橋梁名 ‥ 相生橋
- 道路名 ‥ 清澄通り(都道463号上野月島線、補助第110号線)
- 所在地 ‥ 東京都中央区佃(つくだ)二〜江東区越中島(えっちゅうじま)二
- 創架 ‥‥ 明治36年(1903)3月
- 開通年月日 ‥ 平成12年(2000)3月
- 橋長×幅員 ‥ 149.1m×31.0m
- 型式 ‥‥ 3径間連続鋼床版プラットトラス桁橋
1) 中央区内の橋梁(東京都中央区役所)
2) 1996.02.23 : 平成8年建設・住宅委員会 本文(東京都議会会議録検索)
現橋への架け替え
相生橋の横景
写真出典〕当サイト撮影(H31.4)
相生橋(橋上)
写真出典〕当サイト撮影(H30.2)
震災復興で架けられた相生橋は、経年による老朽化、自動車交通量や重車両の増加に対処するため、昭和63年度(1988)から架け替えが行われました 1) 。
震災復興で7径間だった橋は3径間となり、『形式は、大正8年に市電を通すために改築した先々代の橋の姿にならいトラス橋』となりました 2) 。
現況の交通を下流側に設置した仮橋に切り回しながら架け替えたために相当の年月を要し、平成12年(2000)3月に、3径間連続鋼床版プラットトラス桁橋に架け替えられました 3) 。
1) 1996.02.23 : 平成8年建設・住宅委員会 本文(東京都議会会議録検索)
2) 橋詰の説明板
3) 相生橋工事用パンフレット、東京都建設局、1995年5月
相生橋の歴史
明治〜大正時代
木橋の架設
埋立地として整備された後、船で運ばれてくる水を買っていた月島地区に水道をひくことを兼ねて、明治36年(1903)3月に、木橋の相生橋が架設されました 1)。
大正8年(1919)に市電を通すために木橋での架け替えが行われ 2)、月島から中の島までの大橋はハウトラス橋、中の島から越中島までの小橋は桁橋になり、大正12年(1923)7月には市電が通りました 3)。
1) 月島の発展(中央区立図書館)
2) 橋詰の説明板
3) 橋梁設計図集 第二輯 相生橋(復興局土木部橋梁課編、シビル社、昭和3〜4年発行、土木学会図書館)
関東大震災
大正12年(1923)9月1日の関東大震災で、木橋だった相生橋は焼失しました。 震災直後には人道用の仮橋が架けられ、やや下流には電車用の仮橋も架けられました 1)。
震災復興
相生橋は、関東大震災の復興計画で現在の補助第110号線の復旧として、内務省復興局が架け替え、東京市に移管しました。 相生橋は派川上のため水運が少ないことや周囲が地方的な状態であることなどを踏まえ、一般的な突桁式上路鋼鈑桁とされました。
橋の中間に中之島があるため、相生大橋と相生小橋の2橋が架設され、大橋は橋長145.97mで7径間、小橋は橋長45.82mで5径間で、有効幅員は22mとされました。 基礎は鉄筋コンクリート井筒で、円柱型の橋脚の上端を鉄筋コンクリート桁で連結する形でした。 上部工は、大橋は橋脚橋台に固定される径間が4、吊径間が3,小橋は単桁が5で、塩害による架け替えを容易にしてあり、震災復興橋梁6橋中、もっとも低廉な橋でした 1) 2) 3)。
相生小橋が架かっていた、中の島と越中島の間は、昭和の後期に埋め立てられて地続きになっています。
1) 帝都復興事業誌 土木篇(上巻)(昭和6年、国会図書館デジタルコレクション、P.343)
2) 復興橋梁資料室(Bridge Watching)
3) 橋梁設計図集 第二輯 相生橋(復興局土木部橋梁課編、シビル社、昭和3〜4年発行、土木学会図書館)
4) 橋梁設計図集 第二輯 相生橋 設計図(復興局土木部橋梁課編、シビル社、昭和3〜4年発行、 〃 )
5) 震災復興橋梁工事写真 6.相生橋工事(土木学会附属土木図書館)
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