第二京浜は、JR五反田駅の南から神奈川県境の多摩川に至る延長8kmの6車線の道路で、国道1号です。 途中の西馬込までは第二京浜の下を都営浅草線が通っています。
第二京浜の概要
東京都通称道路名 | No.9 第二京浜 (昭和37年東京都告示) |
道路法の路線名 | 国道1号 |
都市計画道路名 | 放射第1号線 |
主な交差道路 | 交差点名 | |
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起 点 |
山手通り 桜田通り |
西五反田一丁目交差点 品川区西五反田七丁目 |
中原街道 | 中原口交差点 | |
環七通り | 松原橋 | |
池上通り | 千鳥一丁目交差点 | |
環八通り | 矢口陸橋 | |
多摩堤通り | 矢口陸橋の南の交差点 | |
終 点 |
多摩川大橋、東京都神奈川県境 大田区多摩川二丁目 |
東京都が通称道路名として定めている第二京浜は、東京と神奈川を結ぶ主要な交通路である国道1号のうち、品川区西五反田の山手通りの西五反田一丁目交差点から多摩川に至る延長8km、計画幅員30mの往復6車線の国道です。
途中の西馬込までは第二京浜の下を都営浅草線が通っています。
第二京浜は全線が国道1号で放射第1号線です。
路線の案内図




















※ 縮小や拡大ができる路線の案内図です。 マーカーにマウスを置いたり、画面にタッチすると、交差点名等が表示されます。
※ ブラウザや携帯によっては案内図が表示されないこともあります。
第二京浜の現況
西五反田一丁目交差点 (第二京浜起点、桜田通り終点、山手通り交点)
第二京浜の起点は、桜田通り(国道1号、放射第1号線)の終点で、山手通り(都道317号線、環状第6号線)と交差する西五反田一丁目交差点です。
桜田通りを都心側から下ってきたとき、交差点を直進すると第二京浜に入ります。
西五反田一丁目交差点はJR山手線の五反田駅の南にあり、沿道にはオフィスビルが建ち並んでいます。
中原口交差点 (中原街道起点)
中原口交差点で中原街道(都道2号線、補助第152号線)が右側に分岐します。 中原街道に右折すると丸子橋方面に向かいます。
中原口交差点の手前にTOCビルがあります。
高速2号目黒線戸越出入口

高速2号目黒線戸越出入口
写真出典〕当サイト撮影(H30.11)
中原口交差点の先の西五反田八丁目交差点で、上を高速2号目黒線の戸越出口が通る都道2号線(東京丸子横浜線、補助第151号線)が合流しますが、都道2号線への右折は禁止です。 その先で高速2号目黒線が終点となり戸越出口が接続しています。
戸越出口の先に都営浅草線の戸越駅があります。 戸越三丁目交差点で都道420号線(鮫洲大山線、補助第26号線)と交差し、その先に都営浅草線と東急大井町線の中延駅があります。
松原橋 (環七通り交点)

地図出典〕OpenStreetMap
環七通り(都道318号線、環状第7号線)の上を松原橋で越えます。 環七通りと連絡するランプで松原橋の下の松原橋交差点に降りて、環七通りに左折すると大森方面に、右折すると上馬方面に向かいます。
松原橋交差点の下に都営浅草線の馬込駅があり、交差点の先に西馬込駅や池上本門寺があります。
千鳥一丁目交差点 (池上通り交点)
東急池上線の跨道橋の手前の千鳥一丁目交差点で池上通り(都道421号線、補助第28号線)と交差します。
池上通りに左折すると大森方面に向かい、右折することはできますが道が途中で途切れます。
矢口陸橋 (環八通り交点)
環八通り(都道311号線、環状第8号線)が第二京浜の上を矢口陸橋で超えます。 矢口陸橋の下の交差点で環八通りに左折すると蒲田方面に、右折すると下丸子方面に向かいます。
矢口陸橋の先に東急多摩川線の跨道橋があります。
矢口陸橋の南の交差点 (多摩堤通り交点)
多摩堤通り(都道11号線、都計道外)と矢口陸橋の南の名前のない交差点で交差します。
多摩堤通りに右折すると下丸子方面に向かい、左折は多摩堤通りが一方通行のためできません。
多摩川大橋 (東京都神奈川県境、第二京浜終点)
東京都が通称道路名で定める第二京浜は、神奈川県境の多摩川を渡る多摩川大橋で終点になりますが、国道1号は川崎市内でも第二京浜という通称が使われています。
写真に写っている下流のアーチ橋は、NTTと東京電力の送電専用橋の多摩川専用橋です。
「ニコク」は国道1号で「イチコク」は国道15号
東京から横浜の間では、国道1号が「二国(ニコク)」と呼ばれ、「一国(イチコク)」は国道15号を指します。 一方で、国道1号を「一国(イチコク)」と略す地方もあるため、「イチコク」がどちらを指すのか解らないことがあります。
この呼び方は、国道15号が「第一京浜国道」、国道1号が「第二京浜国道」と呼ばれていた名残です。 現在の国道15号(第一京浜)は、江戸時代の東海道の道筋を継承した古くからある道路です。 その交通量が増加し事故が増えたため、東京-横浜間の新たなバイパスとして昭和11年(1936)に着工し戦後に開通したのが現在の国道1号(第二京浜)です。
当時は、現在の国道15号(第一京浜)が「京浜国道」、現在の国道1号(第二京浜)が「新京浜国道」と呼ばれていて 1) 、その後、「第一京浜国道」「第二京浜国道」と呼ばれるようになりました。 東京都内では、東京都が昭和37年(1962)に、都内の国道15号に「第一京浜」、国道1号に「第二京浜」という通称道路名を定めたため、「国道」がつかない呼び方が一般的になりました。 神奈川県内では、現在でも国道事務所などが「第一京浜国道」「第二京浜国道」と言うことがあります。 そのため、「第一京浜国道」「第二京浜国道」を略した「イチコク」「ニコク」と呼ばれることがあります 2) 。
1) 新京濱國道起工式に就いて(道路の改良、第18巻、第11号)
2) 国道1号線を「ニコク」というのはなぜ?(はまれぽ)