清砂大橋通りの整備

(放射第16号線の明治通り以東の整備)

 清砂大橋通りの都市計画は放射第16号線として定められました。
 江東区や江戸川区の南部はメトロ東西線の整備などを契機とした土地区画整理事業が多く行われた地域で、清砂大橋通りの用地確保の大半も土地区画整理事業で行われました。
 荒川と中川を渡る清砂大橋は街路事業で整備され、平成16年に開通しました。

〔目次〕

清砂大橋の写真

清砂大橋

写真出典〕当サイト撮影(R1.7)

清砂大橋通りの計画

都市計画

 清砂大橋通りの都市計画は放射第16号線として定められました。

 放射第16号線は、千代田区大手町一丁目から江戸川区長島町地先千葉県境までの代表幅員33m(江戸川区内は40m)、延長11,920mの都市計画道路で、昭和21年(1946)3月26日の戦災復興院告示第3号で当初計画が決定されています 1)

 このうち、旧市内の永代通りの都心部から明治通りと交差する日曹橋交差点までの区間は、概ねが関東大震災の復興で区画整理が行われた地域で、大正13年(1923)に幹線道路第3号として都市計画され、昭和初期に現在の計画幅員でもある幅員33mに拡幅されています 2) 。 旧市外の明治通りから西側についても、昭和2年に幹線道路と補助線が計画された「大東京都市計画道路網」に放射第16号線の計画の原型が定められています。

 江東区の南砂町駅付近では、昭和56年(1981)に行われた区部の都市計画道路の再検討の際に、江東区長からメトロ東西線の北側から南側に変更するよう意見が出され、平成5年(1993)12月に位置や線形とともに標準幅員が25mから30mに都市計画変更されています 3)

 なお、未整備の千葉県境部は、東京都の第四次事業化計画における優先整備路線に位置づけられています 4)

街路事業の事業化

 放射第16号線の事業化の背景として、荒川の下流部で渡河橋が不足していたことと、メトロ東西線の整備などによる江東区や江戸川区の南部の市街化の進展があげられます。

 下流部で荒川を渡る一般道の橋は、葛西橋通りの葛西橋と、平成8年(1996)7月4日に開通した湾岸道路の荒川河口橋しかありませんでした。 そのため、葛西橋や、環七通りと湾岸道路の交差部などで渋滞などが生じていて、江東区や江戸川区の南部の交通の円滑化を図るために放射第16号線の整備が必要でした 1)

 また、江戸川区の現在のメトロ東西線の沿線部は、昭和30年代までは農業や干潟を活かした海苔づくりなどが営まれていた地域でした。 昭和44年(1969)にメトロ東西線が開通して葛西駅が開業し、昭和54年(1979)には西葛西駅が開業し、昭和63年(1988)にはJR京葉線の葛西臨海公園駅が開業するなど交通環境が向上するとともに、それらを契機とした土地区画整理事業で良好な住環境をもつ街が整備され 2) 、地域で発生したり集中する交通が大幅に増え、平成2年に策定された第三次東京都長期計画にも整備を促進する路線として例示されました 3)

清砂大橋通りの整備

土地区画整理事業

 清砂大橋通りの用地確保の大半は、2つの東京都施行の土地区画整理事業と、3つの組合施行の土地区画整理事業で行われました。

新砂土地区画整理事業
新砂の地図

南砂町駅の周辺

地図出典〕OpenStreetMap

 江東区のメトロ東西線の南砂町駅の南側の清砂大橋西詰交差点までは、東京都施行の新砂土地区画整理事業が行われました。

 新砂土地区画整理事業は、13haの都有地を含む31.2haを工業専用地域から複合的な土地利用に転換するもので、平成9年(1997)7月に事業計画決定がされ、平成16年(2004)8月に換地処分公告が行われました 1) 2) 3)

 この地域は、永代通りの北側はマンションなどに、南側は順天堂高齢者医療センターやショッピングセンタースナモなどになっています。

葛西沖開発土地区画整理事業
旧葛西海岸堤防の写真

清砂大橋の上流側に保存された旧葛西海岸堤防

写真出典〕当サイト撮影(R1.7)

 江戸川区の中川から船堀街道を越えて江戸川区球場の手前までは、東京都施行の葛西沖開発土地区画整理事業で埋め立てられました。

 葛西沖はアサリやハマグリなどが水揚げされていた水域で、地盤沈下で水没した民有地も178haありました。 葛西沖開発土地区画整理事業は、水没した民有地や公有水面を埋め立てて陸地化して豊かな自然と都市機能が調和したまちをつくるため、清砂大橋通りや船堀街道、湾岸道路を含む都市施設の整備を行う事業で、380haの区域を対象に昭和47年(1972)8月に事業計画決定をし、昭和63年(1988)9月に換地処分公告が行われました 1) 2) 3) 4)

葛西沖開発土地区画整理事業

葛西沖開発土地区画整理事業前(1972年)

葛西沖開発土地区画整理事業

事業後(1992年、赤点線が清砂大橋通り)

写真出典〕国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスを当サイト加工

 開発された土地は、葛西臨海公園やJR京葉線の葛西臨海公園駅、葛西トラックターミナル、住宅などになっています。

組合施行土地区画整理事業
土地区画整理事業施行箇所図

土地区画整理事業施行箇所図

図表出典〕江東区役所HPを当サイト加工

 江戸川区球場の前から、千葉県境の旧江戸川の手前までの区間は、3つの組合施行の土地区画整理事業で整備されました。

 葛西地域の南部は、昭和30年代までは農業や漁業が営まれていました。 メトロ東西線の東陽町から西船橋まで延伸が昭和40年(1965)6月に決まったことも契機となり、地区内の低地排水を改善して、工場、商業、住宅としての市街地の形成を図るため土地区画整理事業が各地で行われ、清砂大橋通りも土地区画整理事業で整備されました 1)

表−清砂大橋通りに関係する組合施行土地区画整理
事業名 面積 事業決定 換地処分公告
 小島土地区画整理事業 2)    95ha   昭和42年(1967)12月   昭和56年(1981)5月 
 新田土地区画整理事業 3)    86ha   昭和42年(1967)12月   昭和60年(1985)6月 
 葛西土地区画整理事業 4)    93ha   昭和44年(1969)12月   平成22年(2010)1月 
図表出典〕土地区画整理事業一覧(江戸川区)

 組合施行の土地区画整理事業が行われた地域には、メトロ東西線の西葛西駅(昭和54年(1979)開業)や葛西駅(昭和44年(1969)開業)ができています。

街路事業

街路事業の図

街路事業の箇所図

図表出典〕東京都第五建設事務所パンフレット

 永代通りが明治通り(補助第116号線)と交差する日曹橋交差点から、丸八通り(環状第4号線)との交点を経て、荒川や中川、船堀街道(補助第140号線)の上を越えて、メトロ東西線の西葛西駅付近の江戸川区球場の前に至る、永代通りと清砂大橋通りの延長3,165mは、放射第16号線の街路整備事業で整備されました。

 平成3年(1991)12月に環境影響評価書案が、平成5年(1993)10月に環境影響評価書が出され、平成7年(1995)11月に清砂大橋部の事業認可を得て整備が始まり、事業認可は3区間に分けて取得され、平成16年(2004)3月28日に開通しました。

江東区側平面部
南砂町駅入口交差点の写真

南砂町駅付近の永代通り(丸八通り終点)

写真出典〕当サイト撮影(H30.12)

江東区側平面街路の横断図

江東区側平面街路の横断図

図表出典〕東京都第五建設事務所パンフレット

 江東区側の平面街路部の、永代通りと丸八通り(環状第4号線)が交差する南砂町駅入口交差点から清砂大橋の手前までの延長700mは平成10年(1998)8月に事業認可を得て整備が始まりました。

 永代通りと明治通り(補助第116号線)が交差する日曹橋交差点から丸八通りまでの延長545mは、明治通りの延伸とともに、平成13年(2001)3月に事業認可を得て整備が進められ、清砂大橋の交通開放前に順次暫定開放されました 1) 2)

 整備された道路には遮音壁や低騒音舗装が設けられています。

清砂大橋

 清砂大橋は、江東区側の取付部の桁橋、荒川を超える斜張橋、中堤と中川を超える桁橋、江戸川区側取付部の桁橋からなる、橋長1,317mの橋梁です。

清砂大橋の図

清砂大橋の一般図

図表出典〕東京都第五建設事務所パンフレット

清砂大橋の図

清砂大橋の斜張橋の断面図

図表出典〕東京都第五建設事務所パンフレット

 江東区側の取付部は5径間の橋長133mの桁橋で、都道449号線(番所橋通り、新荒川堤防線、補助第144号線)の上を超えます。 荒川を橋長547mの3径間の斜張橋で渡り、中川を橋長248mの2径間の桁橋で渡ります。 江戸川区側の取付部は上り線は船堀街道との交差点にとりついていますが、下り線は7径間の橋長349mの桁橋で、中川の堤防沿いを通る都道450号線(新荒川葛西堤防線)と、首都高速道路の清新町出入口のロングランプ、船堀街道の上を越えます。

 この各形式からなる橋長1,317mの橋が清砂大橋で、都道では船堀橋につづいて2番目に長い橋になっています 1) 2) 3) 4)

 荒川の渡河部の斜張橋は、橋長547.3m、幅員26mの3径間連続鋼床版斜張橋です。 橋脚の配置は、近接しているメトロ東西線の橋脚位置と合わせるためと、荒川と中川の間の中堤に橋脚を建てないため、2本の塔の高さが異なる非対称の斜張橋になっていて、高い方の塔の高さは55mです。

 メトロ東西線とは橋梁の中心で22m、下部工の間隔で5.2mと近接しているため、上部工についても両橋を考慮した風洞実験を行って耐風設計をし、下部工についても鋼管矢板井筒基礎として、影響解析や洗掘を考慮した水理実験などを行った上で、施工時には変位計測を行いながら施工されました 4) 。 上部工は、河川内の側径間は大型台船による一括架設で、主塔は側径間上からの架設、中央径間はクローラークレーンによる両側からの張り出し架設で架けられました。