佃大橋

(高度成長期を象徴するシンプルな箱桁橋)

 佃大橋は都道新富晴海線が隅田川を渡る橋で、東京オリンピックに向けて晴海通りなどの渋滞を緩和するために架けられました。 高度成長期の日本を象徴するようなシンプルな箱桁橋です。

佃大橋の諸元等

佃大橋

佃大橋

図表出典〕東京都、東京都の橋、2005、P.15

 佃大橋(つくだおおはし)は、都道新富晴海線(しんとみはるみせん)が隅田川を渡る橋で、隅田川に62度の斜角で斜めにかかっています。

 佃大橋の桁下高は勝鬨橋と同じA.P.+8.3mですが 1)、取り付け部の路面の高さが高く、都心側は取り付け橋で区道と立体交差し、月島側は本線車道が地上に降りることなく新月陸橋で清澄通りと立体交差し、朝潮大橋を越えて晴海で地表面に取り付いています 2)

  • 橋梁名 ‥ 佃大橋
  • 道路名 ‥ 特例都道473号新富晴海線(補助第153号線)
  • 所在地 ‥ 東京都中央区湊(みなと)三〜中央区月島(つきしま)
  • 開通年月日 ‥ 昭和39年(1964)8月27日
  • 橋長×幅員 ‥ 476.3m(本橋部220.0m)×25.2m
  • 型式 ‥‥ 3径間連続鋼床鈑箱桁橋

佃大橋の建設

 佃大橋は、渋滞解消を目的とするオリンピック関連街路として、勝鬨橋がかかる晴海通りや永代橋がかかる永代通りなどの渋滞を緩和するとともに、月島晴海の工業地区に産業幹線を整備する補助153号線の整備事業で架けられました。 3径間連続鋼床版箱桁橋で、基礎は深さ約20mのニューマチックケ−ソンになっています 1) 2)

 施工にあたっては、技術的に注目される工法が採用されました。 橋脚の鋼製フローティングケーソンは工場の岸壁で作られ、現地に曳航されて沈設されました 3)。 桁架設は、船舶の航行への影響を考慮して支保工を使用せず、大ブロックに分けられた主桁を400m離れた石川島播磨重工第一工場からフローティングクレーンに吊って曳航し、順次、結合されて組み立てられました 4)

 昭和39年(1964)8月27日に開通し、佃大橋の整備により、都営で最後の渡しであった佃の渡しが廃止になりました 2)
※ 隅田川で最後まで営業していた渡しは、紡績工場の交通手段だった汐入の渡しで昭和41年に廃止されました。

 景観デザインとしては『個性的なデザインの多い隅田川橋梁群の中で、一見無個性で無粋な橋と思われがちな橋である。 シンプルで伸びやかなその姿形は、機能に徹した3径間連続変断面桁の典型例であり、高度成長期の日本を象徴する橋と云える。』との評価も受けています 5)