両国橋

(隅田川下流に最初に架けられた橋)

 両国橋は国道14号が隅田川を渡る橋で、関東大震災の復興で架けられました。 長支間の鈑桁橋で、架設当時は「三大ゲルバー橋」の一つと言われ威容を誇りました。

 初代の両国橋は隅田川下流で最初の橋で、徳川4代将軍家綱の時代に架けられ、江戸時代を通して幕府の直轄管理だった重要な橋です。 現在は拡幅事業の対象となっています。

両国橋の諸元等

両国橋

両国橋

図表出典〕東京都、東京都の橋、2005、P.14

 両国橋(りょうごくばし)は、国道14号が隅田川(すみだがわ)を渡る橋梁で、震災復興で東京市が架橋し、国土交通省に移管されました。 現在、拡幅事業の対象になっています 1) 2) 3)

  • 橋梁名 ‥ 両国橋
  • 道路名 ‥ 国道14号(放射第15号、靖国通り(やすくにどおり)と京葉道路(けいようどうろ)との間)
  • 所在地 ‥ 東京都中央区東日本橋二〜墨田区両国一
  • 創架 ‥‥ 寛文元年(1661)
  • 開通年月 ‥ 昭和7年(1932)5月16日
  • 橋長×幅員 ‥ 164.5m×24.0m
  • 型式 ‥‥ 3径間ゲルバー式鋼鈑桁橋

現況への架け替え(震災復興)

 関東大震災で被害が少なかった両国橋の架け替えは、震災後しばらくは考えられていなかったようで、大正13〜14年(1924〜1925)頃に架け替えが決まったようです。 両岸で3〜5m程度の盛土を行うと航路限界を侵さずに上路式にできること、地盤が悪く旧橋脚を再利用するのでアーチ形式は適さないことから、上路式の3径間ゲルバー式鋼鈑桁になっています。 両国橋は中央径間が62mと鈑桁橋としては長かったため、言問橋や大阪市の天満橋とともに日本三大鋼ゲルバー橋と呼ばれました。

 橋台は杭打ち基礎でRC重力式、橋脚は旧橋の井筒基礎2基を補強し2基を追加した基礎で鉄骨鉄筋コンクリート造になっています 1) 2)

文化的意義

 両国橋は都選定歴史的建造物に選定されており、その概要は『架設当時は、言問橋と並び(鈑桁橋で‥当サイト追記)わが国最大支間の橋として威容を誇った。土俵をデザインした円形のバルコニー等、相撲を意識した意匠が特徴』とされています 1)

両国橋の歴史

 江戸時代

広重 東都両国橋渡初寿之図

広重 東都両国橋渡初寿之図

写真出典〕国立国会図書館HP

http://www.ndl.go.jp/landmarks/sights/ryogokubashi/

 初代の両国橋は、振袖火事をきっかけに、徳川4代将軍家綱の時代の寛文(かんぶん)元年(1661)(万治2年(1659)との説もある)に、隅田川の上流部に架けられた千住大橋に続く隅田川で2橋めの橋梁として架けられました。

 架橋のひとつの理由は、明暦3年(1657)の振袖火事の際に逃げ場を失った住民が浅草橋一帯で犠牲となったためです。 また、江戸市中の6割を焼いた振袖火事の復興にあたって、延焼を防ぐための道路の拡幅や広小路(ひろこうじ)、火除地(ひよけち)を造るために、郊外への移転を伴う都市計画が進められ、隅田川の対岸の本所(ほんじょ)や深川(ふかがわ)が旗本屋敷や町屋として開発され、隅田川を越えて都市が拡大しました 1)

 橋の規模は、橋長171m(94間)、幅員7.3m(4間)とされています。 橋の両側には火除地として広小路が設けられ、江戸随一の盛り場として賑わいました。 橋の名前は、当初は「大橋」と呼ばれていましたが、隅田川が武蔵国と下総国の境であったため、後に「両国橋」と改められました 2) 3)

 最初に架けられた両国橋は、架設の5年後には出水で一部流出し、7年後には一部焼落し、19年後には台風で半分が流され架け替えとなるなど、維持や更新に多額の費用を要しましたが、隅田川の下流部の橋で唯一、民間管理の時期がなく幕府が管理が続きました 4)

 明治〜大正時代

 洋式木橋への架け替え

 明治新政府は、明治8年(1875)12月に両国橋を洋式木橋に架け替えました。 洋式木橋の架設にはオランダ人技術者のリンドーが指導にあたりました 1) 2)

 この木橋では、明治30年(1897)8月10日の花火大会の最中に、群集の重みに耐え切れず10mにわたり欄干が崩落して死傷者がでる事故がおき、報道画とともに大きく報道され世間の関心を集めました。 ちなみに、この事故の死者数は「数十名」とする報道がある一方、警視庁の報告では「溺死者2名、行方不明者1名」となっています 3) 4) 5)

 鋼橋への架け替え
明治時代の両国橋

明治37年架橋の両国橋(鉄橋)

写真出典〕国立国会図書館HP

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764233/9

 明治37年(1904)11月、プラットトラス3連からなる下路式の鋼橋に架け替えられました。 この橋は、橋長163.6m(90間)、幅員20.9m(11.5間)で、橋台はコンクリート造、橋脚は井筒2基を鋼製綾構で連結する構造で、トラスの上弦材を曲弦にし、かつエンドポストを垂直にすることにより、トラス3連の連続性が演出されています。 歩道部には木製縦桁や敷板が使われていました 6)

 関東大震災
関東大震災で燃えた両国橋の歩道

関東大震災で燃えた両国橋の歩道

写真出典〕土木学会HP

http://library.jsce.or.jp/Image_DB/koshashin/co1140.html

 大正12年(1923)9月1日の関東大震災で、揺れによる被害は井筒を連結する綾構が変形したなどに限られ、橋下の船の火災により上流側歩道の大半が焼け落ちたものの、床桁や構桁にはほとんど影響がなく強度も被災前と変わらないものでした。 被害が限られ交通ができたことから震災直後の応急・復旧作業に用いられた後に架け替えられました 6)

両国拡幅

説明‥の写真

両国拡幅の事業区間

図表出典〕東京国道事務所HP(当サイトで加工)

http://www.ktr.mlit.go.jp/toukoku/jutai/ryougoku/

説明‥の写真

両国橋部の標準横断図

図表出典〕関東地方整備局HP(当サイトで加工)

http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000677713.pdf

 京葉道路の両国橋から東に向かって延長1.9kmの区間で、6車線に拡幅する「両国拡幅」事業が進められていて、両国橋も拡幅の対象になっています 1)

旧橋の再利用

 明治37年(1904)に架設された両国橋の中央径間は、幅員を狭めたり垂直材を一部変更したうえで、昭和7年(1932)3月に、隅田川に注ぐ亀島川(かめじまがわ)の最下流の橋である南高橋(みなみたかばし)として再利用されています 1) 2)

 南高橋は、現存する都内最古の鋼鉄トラスの道路橋として、平成28年度に土木学会選奨土木遺産に選ばれています 3)